2012年御翼5月号その3

永遠に生きる存在として造られた

 神は人を、永遠に生きる存在として造られました。死の向こう側で過ごす時間の方が遥かに長いのです。トーマス・ブラウン殿下が言ったように、あなたがこの地上で過ごす時間は「永遠においては短い挿入句」のようなものです。
 人生には目に見える以上のものがあるということを十分に理解した時、また人生とは永遠への準備であるということが分かった時、あなたの生き方は大きく変わることでしょう。永遠の光のもとで生きていく時、あなたの価値観は一変します。時間やお金をもっと賢く使うようになるでしょう。四六時中気にしていた名声や業績、そして快楽といったものよりも、人間関係や自分の品性などをより重視するようになります。優先順位が入れ替わるのです。パウロが言っている通りです。「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリピ3:7〜8 新改訳)。
 人生を最大限に活用するためには、永遠の視点を持たなければなりません。神は今、私たちのために永遠の住まいを用意しておられることを私たちは知っています。天国において愛する人たちと再会し、あらゆる痛み、苦しみから解放され、信仰を全うした報いをいただき、さらにやりがいのある仕事が与えられることになるのです。頭上には後光がさし、ハープを弾きながら雲の上で寝転ぶようになるのではありません。私たちは永遠に神との交わりの中に生き、そして神も私たちとの交わりを永遠に喜んでくださるのです。神はあなたの人生に目的を持っておられますが、それはこの地上で終わるものではありません。神のご計画は、あなたがこの地球という惑星で過ごす数十年を遥かに越えたものです。神は「一生に一度の好機」ではなく、一生を越えた機会を提供しておられます。聖書は、「(神の)ご計画はとこしえに続き、その目的は永遠に残る」と言っています。(主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る」詩篇33:11 新改訳)
 人が永遠とは何かについて考える唯一の機会は、お葬式の時でしょう。しかし多くの場合、その時に人々が抱く考えというのは、無知に基づく、思慮に欠けた、感傷的なものにすぎません。私たちの誰もが知っている、この死という人生の終着点に向けて何の準備もしないまま生きていくのは愚かなことです。もしあなたがイエス・キリストを通して神との関係を持っておられるなら、死を恐れる必要はありません。死は永遠の世界を開く扉だからです。死はこの地上における人生の終わりの日であると同時に、永遠の人生への誕生日ということになります。

リック・ウォレン『人生を導く5つの目的』(パーパス・ドリブン・ジャパン)より抜粋

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